勉強は役に立ちますか?

かれこれ勉強を続けて、20年近くになります。
それが役に立ってきたかと聞かれると、
おそらく役に立っているとは思います。
それが何かと聞かれたときに、
答えることはできません。
ただ今の自分を形作っているもので、
重要な要素です。


「役に立っている」といっても、
それはどういうことなんでしょうか。
ぱっと思いつくのは、
「将来、お金を稼げるようになること」
それに繋がるということであれば、
果たして古典を勉強する必要は・・・
徒然草を原文のまま読めるのは、
直接お金には結びつきません。
その点で「資格」には強みがあります。
そして「経済学」なんかも強そうです。
強みがないところではどう「勉強」すればよいのでしょうか。
その「勉強」は役には立たず、
好きで勉強するということになってきます。
それはもはや趣味の域に入ってくるのではと思います。
なので、皆が皆モチベーションを保つのは、なかなか難しい。


ちなみに、モチベーションについて自分自身は、
勉強することを「おもしろがる」ということを
念頭においています。
特に大学に入ってからは。
高校までと大学での勉強は違うんですぅ、フ〜
小西真奈美が思い浮かびそうですが、
知ればおもしろくなることは結構あります。
特に全然つながりがなさそうな事柄が、
意外なところで繋がったりするというのは
かなり「おもしろ」がれます。
「あっ、これあれですやん!」ってなふうに。


あと「自分が知らない」というのは
かなりモチベーションになります。
相手が語っているのを、フンフンと聞いているが、
わからないことも時々、いや多々あります。
すいません、見栄張りました、見栄晴です。
そんなときには、後で調べる。
これも「勉強」だと思います。


モチベーションは保てたものの、
どこへ向かえばよいのか?
いわゆる「シュウカツ」ですか?
そのために勉強するというのは、
やめておいた方がよい気がします。
裏切られると取り返しがつきません。


勉強をしてきたことを無駄にしたくなければ、
あまり実利的なところ以外で勉強するほうがいいのではと
思い始めてきました。
勉強はかならず実利に結びつくものではない、
結びつきにくい性格のものです。
試験を突破するための勉強は少し性質が違いますので、
これは本当に自発的な勉強における話になります。


実利的なことが関係なければ、
もうそれは一般的に言うと
「役に立たない」ことになります。
ん〜堂々たる堂々巡り!!
大学院試験の面接での
「あなたの大学院進学の志望理由を教えてください」
という質問が妙に「深く」思えてきました。
かと言って「好きだからっ!」と、
チャン・ドンゴンのように答えることは
ちょっと考えにくいです。
え〜もちろん「訛る」ってことじゃなく、
理由のことです。


ここまで来て、「役に立つ」かどうかはさておき、
実は「役に立たせる」かどうかが問題であるということに
気づきました。
「こんなこと勉強しました、なんでこんなとこで役に立ちます。」
というのがハッキリしているのは楽ですが、
可能性を狭めてしまいます。
その点が曖昧なものの方が、なんとか応用「しよう」とする。
そして、そのやり方を身に付ける。
これが、「役に立たない」勉強の「役に立つ」ところじゃないでしょうか。


そして自分にはそれができているか。
自問自答してみます。


大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ! (有斐閣アルマ)

大学生の学び・入門―大学での勉強は役に立つ! (有斐閣アルマ)