働く考

働くことの位置付けを考える。欧米では休む時には休むという。

何を大事に思っているかが違うのでは。日本では「働いているという事実」、その中身はさておき。欧米は中身が良ければいいだろうという成果主義。いくら頑張っても成果が出ない場合を考えると日本式のほうがいい。そういうセーフティーネットは張られている。


しかし、もう少し考えてみると、そもそも日本では自分の存在意義を仕事に置きすぎている。そこでダメだから、人として否定されるというわけではないと思う。仕事に存在意義があるには違いないが、子供の頃からやってきた勉強の行きつく先は就職のためだという意識が強い。勉強はそのためだけではないだろう。

 

勉強が通貨のように扱われている。通貨のように決まった尺度があるわけではないし、その多い・少ないで議論できる話ではない。もっと幅を広げるのが勉強になる。過程は大事というが、そこでどう感じられるかという奥行きを持っていることが大事だと思う。